十三(じゅうそう)文化住宅
関西の人以外は理解できないかもしれないが、
文化住宅
というものが大阪にはあって、定義は様々あれど「一軒ごとに外から直接玄関に繋がっている長屋タイプの古いアパート」と言っていいと思う。
さて若き日の人民兵は表題の、大阪にある十三文化に約10年ほど住んでいたことがある。
二階建ての一角G−5号室に居を構えた当時、一階にはヤクザが住んでおりよくいびられたものだった。ツルツルに頭をそった入道のような大男は、人を怒鳴ることを生業としているようなところがあり、彼を怒らせないことが半ば人生の目標化するほど悲惨だった。
文化住宅
というものが大阪にはあって、定義は様々あれど「一軒ごとに外から直接玄関に繋がっている長屋タイプの古いアパート」と言っていいと思う。
さて若き日の人民兵は表題の、大阪にある十三文化に約10年ほど住んでいたことがある。
二階建ての一角G−5号室に居を構えた当時、一階にはヤクザが住んでおりよくいびられたものだった。ツルツルに頭をそった入道のような大男は、人を怒鳴ることを生業としているようなところがあり、彼を怒らせないことが半ば人生の目標化するほど悲惨だった。
- [2005/11/02 09:19]
- 貧乏話 |
- トラックバック(0) |
- コメント(20)
- この記事のURL |
- TOP ▲
雨にも負けず

正確には「雨ニモマケズ」というタイトルであって、それは”雨”という漢字一文字を”ニモマケズ”という片仮名五文字が後から追随してくるわけで。
それはきっと、
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
という賢治の、華やかな都会や上面の人間関係についてゆけない彼の、一種土着信仰のようなものが、”ニモマケズ”という片仮名言葉特有の抑揚の無さに適応したからだと思われる。
その詩の中で、
東に病気の子供をみまい、
西に疲れた母の稲を背負い、
北に争いごとを諌め、
そうありたいと賢治が願うことまでは子供の時から分かっていたが、今日何年かぶりで読み返す機会があり
南ニ死二サウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイイヨトイヒ
という部分ではっとした。
今までこの部分が人民兵には意味不明だったのだ。
この「コハガラナクテモイイ」という台詞を、私は長い間
「おいら怪しい者じゃないよ」という妖怪人間ベロと同じ目線で考えていた。
つまり、死にかけている老人を看取るために遠路はるばる出かけて行った自分を見て怖がる老人の図。 見知らぬ相手に恐怖を感じる老人に「こわがらなくてもいいですよ、決して危害は加えませんから」
と表明することだと信じていたわけだ。
で、恥ずかしながらこの詩を最初に読んで20ウン年経てようやく今日理解できた。
この「コワガラナクテモイイ」というのは、死に対する恐怖をやわらげてあげるということで、あまねく全ての宗教に共通する最大のテーマと同じであるということ。
黒澤映画の傑作「どん底」の中でも、死期の迫った老人が苦しむ様をみて旅の男が、「浄土は素晴らしいよ」と説いてやるシーンが出てくる。それを聞いた老女の言葉が素晴らしい。病苦、貧乏、家族の謗りを受けながら、どん底にあえぐ彼女は
「でもね、浄土がそんなにいいところなら、ここでもう少しだけでもこの苦しみを味わっていてもいいかなと思うんですよ」と。
上り坂と下り坂の数が同じであるように、産まれてから死ぬまでを足し合わせたらどんな人間でも0になるはず、なのに不公平にできてるような感じがするのはなぜだろう(-_-;)
- [2005/11/01 01:28]
- 未分類 |
- トラックバック(0) |
- コメント(16)
- この記事のURL |
- TOP ▲
- | HOME |


