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インド旅日記その24:さらばインド

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2009年9月17日木曜日:インド最後の日
インド滞在の最終日、何か思い出になることをしようということでヘンナ・タトゥーを入れることにした。
このヘンナ・タトゥーといのは、ナチュラルな染料の一種で、ミソハギ科の低木の葉を乾燥させて粉末にして水に溶いたものでできている。このペーストを体に塗布することで約2週間ほどのあいだ擬似刺青体験ができるというものだ。
高価なものは両手両足に何時間もかけてびっしりと描きこんでいくが、そこまではできないので、左手上腕部のみ50ルピー(100円)でやってもらうことにした。

henna.jpg
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メインバザールの街角には、ヘンナをやってくれる人はたくさんいて、私には細かい差は分からないがかなりレベルが高いように見えた。
担当してくれた24歳のお兄ちゃんは、とても真剣なまなざしで4分ほどもかけて立派な紋様を描いてくれた。彼は毎日夕方6時から晩の10時までそのあたりでタトゥーをやっているのだそうで、客は多い日で一人か二人、0人の日もあるという。そんな彼と雑談しているうちにだんだんと夜が更けてきた。どうやら今日の客は私一人だったらしい。彼が同業者の友人と笑いながら話している。手にはフリトレーのスナック菓子、定価12ルピーと書かれてある。私がまだ食べたことない種類だったので興味深くパッケージを見ていると、少しわけてくれた。『これ美味しいから気にいってるんだ、そんなに高くないからお前も買ったらいいよ』そういって彼は笑いながら去っていった。

昼間に彼がどんな仕事をしているのかは知らない。ただ、彼が住んでいるアパートの家賃は2000ルピーだと言っていた。そして今日の夜の売上は私からのたった50ルピーだ。
どうして彼は12ルピーのスナック菓子を安いと思えるのだろうか・・・ 私は何だか少し切ない気分になった。


夕方7時、ニューデリーの飛行場までプリペイドのリクシャーで行く。130ルピー也、乗合タクシーなら200ルピーが相場だが、最後は少し節約しようとあまり一般的でないこの方法を選んでみた。
ところが、街の雑踏を離れて近代的な高架道路を通ってみると、リクシャーというのがいかに非力かわかる。時速100キロ近い速度でびゅんびゅん飛ばしていく他の車に対して、こちらは贔屓目に見ても60キロが精一杯。周りを見回してみてもリクシャーなど全く走っていない。高速道路を原付走行してるようなもので、何度も事故に巻き込まれそうになって、そのたびに身の縮む思いをした。


最後くらい去りゆくインドの夜景を眺めて感傷的な気分に浸ろうと思っていたが、そんなわけでまたしてもバタバタのうちに終わってしまった。


((劇終))

この後、人民兵は香港・マカオに二泊した後、ロサンゼルスに帰国します。
(香港・マカオ編をご希望の方がいればご連絡ください。考慮します)
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インド旅日記その23:ニューデリー:インド最大の売春地帯に行ってみる後編

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2009年9月15日火曜日~17日木曜日:ニューデリー

外に出て左右を見回してみるが、そこはやはり中古車を扱う古工場の集合にすぎない。耳を澄ませても階段から再び彼女達の声や気配をかぎとることはできなかった。ありえないことだが、一瞬自分が夢でも見たのではないかという気がしてくる。念のため10メートル歩いて別の階段を上がってみたところ、デジャヴかと思うほど全く同じ光景が目の前に繰り広げられた。今度は二度目なのでこちらも少し余裕をもって観察できる。やはりというか、日本人の感覚からするとそこにいる女性は80%が肥満に分類され、30%がおばさん以上で、70%は不美人であり、60%はとても色が黒く、5%くらいはなんらかの病気持ちに見え、つまりは100%無理という状況だった。


それでも、さすがにインド最大とうたわれているだけのことはあって、このGBロードは規模という点ではなかなかに大きい。とにかく歩いても歩いても10メートルごとに階段があり、そこを上っていくと幾つかの部屋があり、各部屋には10人から30人の間で”女の子”が待機しているのだ。過去これだけの規模で売春婦を見たのはカンボジアのセブンティ・ストリートくらいか。(もう閉鎖されたと聞くが、彼の地では地平線の果てまで両側売春宿で一軒あたり5人から20人くらいの女の子がいた。あの時私は何百人というい売春婦の中を練り歩いていたのだ)

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(写真:関係ないがニューデリーで美味しかった屋台の写真・・・GBロードの写真があまりないもので)


しかしながら、何軒行っても結果は同じ『物理的に不可能』を再確認する退屈なルーチンワーク。汗だくになりながら階段を上り下りするのはいいかげん辛くなってきた。もうこれで最後にしよう、そう思いながら最後に上った階段で見た光景は、それまで上ってきた10本近い階段とは少し違った。
いつものように二階にたくさんの売春婦を見た後、三階への階段を上る途中が中二階になっている。今風にいうとスキップ・フロア形式というのだろうか、何気なく覗いてみると、リノリウムの床の上にあろうことかたくさんの山羊がいた。あのメェーと鳴くヤギである。それがざっと見て20頭近く、床の上に蒔かれたペレットのような餌を無心に食べていた。ヤギの向こうに座っていた肥ったおばさんは腐ったような目でこちらを無表情に見ている。


私の中のチンケな常識ではありえない光景に軽い戦慄を覚えたが、ジロジロ見るのも失礼なのでそのまま通り過ぎ、二人の大人がすれ違えるかどうかの狭い階段を3階に行くと、またたくさんの売春婦がいた。売春婦達は今までと同様、こちら遠慮ない視線で睨め回し、私も同様に不自然な会釈をしながらその場を失礼した。戻りの階段で、再びヤギの大群を見て私は動揺した。一階の外は中古車部品販売、二階は売春婦でその上がヤギ、そして三階が売春婦ときている。心が弱っていたからだろうか、リノリウムの床に撒かれた餌を貪るヤギと肥ったおばさん、その光景を見て私はなぜか吐き気を催した。


もういい、GBロードはもういい。なぜに公団住宅のような建物の二階でヤギを飼うんだ。所詮インドを理解しようなどと無謀な話なのだ。

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インド旅日記その22:ニューデリー:インド最大の売春地帯に行ってみる前編

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2009年9月15日火曜日~17日木曜日:ニューデリー

<<GBロードに行く>>
インドで最大の売春地帯だというGBロードに行くことにする。


ニューデリーの駅からそこまで遠くはないということだけは聞いていたから、値段の張るオートリキシャーではなく、そこらにたむろしていた何人かの中で言い値が一番安かったサイクル・リキシャーの若者に25ルピーで行ってもらうことにした。これが大きな間違いだった。彼はニューデリーの駅に出ると線路沿いの道をどんどんと北に向かって北上していった。20分近く漕いだだろうか、道は大渋滞に巻き込まれ前にも後ろにも全く進めなくなった。そのあたりで、彼は線路を越えて右に折れ曲がっていく道を指さしGBロードはあっちだと言った。まあ動かないものは仕方ない。少し割高かと思いつつも約束の額を払って礼を言って歩き出した。


ところが道沿いに歩いていけども行けどもGBロードには着かない。付近の人間は英語は話さないがGBロードという単語は知っているらしく、GBロード?と聞くとあっちだと指してはくれる。そして40分以上歩いて、ようやくここがGBロードだと言われたあたりは、ニューデリー駅の裏側から歩いてほんの少しの距離だった。なんのことはない、非力なサイクルリキシャーは客を乗せたまま駅を越える高架橋を越えられないから、大きく遠回りして踏切のあるところまで迂回しようとしただけで、途中渋滞に巻き込まれたので地理に疎い外国人の私をすぐそこだと言って追い出したにすぎない。場所さえ知っていれば最初にいた場所から歩いて10分以内の場所に、自転車で20分徒歩で40分かけてきたわけだから、やはり情報というのがいかに大切かわかる。ニューデリーにしても日本人宿化したところは何軒もあるのだから、ほんの少し『情報ノート』でも置いてくれていたらこんなことは防げるのだ・・・ブツブツ・・・ と文句を独りごちる。


さて、肝心のGBロードだ。

タージ・マハルのあるアグラーで売春宿を探した時もそうだったように、ここが”天下の”GBロードとは思えないほど、あたりは一見してまったく普通である。そのあたりには古い自動車パーツの部品販売や修理工場が道の片側に集まっていた。ベアリングだのハンドルだのといった部品を作っているのだろう。そういった類の色気のない看板が線路沿いの道の片側に並んでいる。


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ここがインド最大の売春街って信じられますか?


道の片側に並んだ建物はみな三階か四階建てで同じような色に塗られており、延々と歩いていてもつなぎ目が見えないようにすべてが一体化していた。建物のつくりとしては昔の公団住宅を少し手狭にしたような感じ、といえばわかりやすいだろうか。道は薄暗く半分屋根のアーケードになっており、そして10メートルおきくらいに、コンクリート製の狭くほの暗い階段が二階へと続いている。下から覗いても人の気配はほとんどしない。

ここは本当にインド有数の売春地帯なんだろうか?

なんとか”GBロード”と呼ばれるところに着いたはいいが、ほとほと困ってしまった。なにしろあたりの人通りは少なく、女性の気配はまったくと言っていいほどない。
ごくごくたまにインド人の男がふっと階段を上がっていくのを見かけたが階段は薄暗く曲がりくねっていて、先に何があるのかわからない。すでに晩の8時半を過ぎて周囲は暗いので、用心に越したことはない。幸いなことに危ない雰囲気はただよっていなかった。

(やはり何かの間違いだったのかもしれない)

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どう見てもタダの中古自動車部品屋だが、上にいくと置屋になってます・・・

もう帰ろうと思ってそのまま線路沿いの道を歩いていったが、どうせならと覚悟を決め勇気を出して階段の一つを上がってみた。こんなところに女なんていないだろうと、曲がりくねった階段を2階まで上がっていくと、左側に部屋があり、意外なほど明るい照明が暗い階段に漏れていた。中からたくさんの女性の声が聞こえてくる。 恐る恐る中に入ると、全員で30人近くいるだろうか、明らかに売春婦然とした女がいっせいにこちらを見た。日本人の男が一人でこんなところに来ることがよほど珍しいのだろうか、無遠慮な視線が頭のてっぺんから爪先まで注がれる。これはあまりにバツが悪い。当惑しながらも軽く会釈して、0.5秒ほどでざっと部屋を見回した。ほとんどはインド人女性だが、ネパール系だろうかやや色白の女性もいる。いずれにしてもその中に物理的にできそうな相手がいないことだけを確認してその場所を出た。万が一と思い3階に行くと同じようにたくさんの女が中にいてこちらと目があった。

気まずい思いのままもと来た階段を下って逃げるように外の道に出た。

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インド旅日記その21:鉄片をこすり付ける蜂さされ民間療法

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2009年9月15日火曜日~17日木曜日:ニューデリー:蜂刺され民間療法
昨晩友人を見送ってから、旅が終わってしまったような気がしてあまり元気がでなかった。追い打ちをかけるように、原因不明の咳と水便、それに体のだるさが続き、このまま残り日程を宿でひたすら寝てようかとさえ思った。


それでも次にインドに来るのはいつになるかわからない。なんとか気合をいれて重い腰をあげる。 レッドフォートなど幾つかの世界遺産があるオールド・デリー市街は見ておきたいし、インドの伝統工芸である細密画のコレクションがインド国立博物館にあるらしいのでそれは行ってみたい。あと、ニューデリーにはGBロードと呼ばれるかなり大きな赤線地帯があるので、そこも外せない。



<<納得のいかない療法>>
よっしゃとひとり気合を入れて重い体にムチ打ちながらやっとの思いでホテルを出て道を歩いていると、お茶の葉を売る小さな古い店が目に入った。観光客の集まる大通りから少し離れているので、地元民相手に商売をしているのだろうか。中に入ろうか立ち止まって迷っているとチクッという感覚とともに左手薬指に鋭い痛みを感じた。


姿は見えなかったがどうやら蜂に刺されたらしい。指にジーンと痛みが走り、みるみるうちに腫れてくるのが判る。記憶をたどってみても、蜂に刺されたなんて子供の頃以来だから、『あれは子供時代、精神力が弱くて我慢できなかったから泣いてたんだ』と思っていたが、いやいやなんの、その痛いこと痛いこと。さすがに涙までは出なかったが、

『アァ、ウァッ!』

と心臓の鼓動がする度に小さく声が出るくらい疼いた。


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インドの民間療法、信じるか信じないかはあなた次第です

するとそれに気付いた茶屋の親父が手招きする。恰幅が良く背の高い彼は頭にターバンを巻いていた。(予断だがインド人で日常的にターバンを巻くのは人口の0.5%しかいないシーク教徒だけで、肉食を厭わない彼らは全体的にガタイが良いことが多い) オヤジに招かれるまま中に入り、傷を見せて蜂に刺されたのだというと、彼は大丈夫だすぐに直してやるというようなことを言って、店の奥にいたおばさんを呼びつけた。

でっぷりと肥った人のよさそうなおばさんは腫れあがった私の指を見て(おお可哀想に)というジェスチャーをして店の奥から何か淡黄色の液体が入った瓶を取り出した。

メディスン・オイルだというその中には、カルダモンやクローブ、ジンジャーが浸かっていた。蓋を開けるとプーンとマスタードの匂いがする。正体はどうやら辛子油らしい。彼女はそのオイルを少し手にとって、私の刺された指に擦り込み、店で使っているのだろう錆の浮いた500グラムくらいの鉄製の分銅を持ってきた。何をするのかと思ったら、その分銅で思いっきり刺された場所にこすりつけてくるではないか。けっして撫でるのとかいうのではなく、加減ぬきに力いっぱい指にこすり付けてくるので、あまりの痛さにこんどこそ

『ギャアーーー、ウゲェェェーー』


と私は思いっきり悲鳴をあげた。
これは痛い、確実に蜂に刺された瞬間や直後よりも痛い。それより何より、蜂に刺された後に指をこんなにマッサージしてもいいものだろうか、しかも赤さびた分銅で、汚い手で・・・
もう止めてくれ、止めてくれと頼むが、おばちゃんは全然ひるむすきがない。それどころか、もうすぐだからもうすぐだからとニコニコしながら、それでもいっそう力を込めた手で指をこすってくる。

『ギャアーーー、ウゲェェェーー』


何度も叫んだが、一向にやむ気配はない。なんとおばちゃんは15分もの間その『地獄の分銅マッサージ』を続けてくれたのである。
すると・・・どうだろう、あれだけ痛かった指がだんだんと痛覚が麻痺して痛みが薄れてきた。私が声を上げなくなったのを見届けておばちゃんはようやく手を解放してくれた。おばちゃんも親父もどうだといわんばかりにニコニコと笑っている。

後でシーク教徒の親父に聞いたところ、彼女は砂漠地方ラジャスタンの出身だというが、果たしてこの赤錆分銅マッサージがその地方特有のものか、インド全土で広く行われているものかわからない。とにかく、痛みはひいた。ただ、単なる蜂刺されなら15分放置しておいたら普通に痛みは治まったのかもしれない。たったこれだけのことで朝から頭の中が謎だらけになったりするのである。

帰国後に同僚のインド人にこの治療法のことを聞いたら、ハチ刺されに鉄を力いっぱいこすりつけるのはインド全土で見られる治療法なのだそうだ。

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インド旅日記その20:9つの目的をすべて達成した

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2009年9月14日月曜日:ニューデリー:9つの旅の目的を全制覇
朝7時起床。宿泊した部屋は天井のファンが壊れていて速度が調節できなかった。そのために昨晩は何度も暑くなって途中でつけては、また寒くなって消すを繰り返さねばならず、まんじりともできなかった。今日は部屋を換えてもらうことにしよう。


朝飯を食べに日本人に人気の『オクラ丼』を出す店に行く。ここは働き者のインド人夫婦のやってる店で、オクラ丼だけでなくチキン・ワンタンや野菜炒めなど胃に優しく美味しい日本食を安く食わせてくれるありがたいお店。名物オクラ丼(40ルピー)は、どんぶりご飯の上に塩茹でしたオクラを刻んだものを乗せ、目玉焼き二つを豪快にトッピングして醤油を垂らしただけの単純なもの。だがこれが美味い。帰国してからも何度かこのレシピで料理を作り『インドの味だ』と称して人に振舞っては喜ばれている。

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オクラ丼が美味い


私にとってもここがインドの最終地点なのでお土産を物色する。このメインバザール(パハールガンジ)という通りは非常によくできていて、安レストランから土産物屋、両替屋、雑貨屋、ヘンナ・タトゥー屋といった旅行者向けのサービスから、サリー屋、おもちゃ屋、お茶屋、果物屋といった地元民向けの店が適度に入り混じっている。歩いて20分くらいの通りはいつも活気に満ちていて、全てのものが安く・汚く・面白い空気が充満していた。はっきりいってコルカタのサダル・ストリートなんかの10倍は面白い。


結局ここでは300ルピー(600円)から交渉スタートしたラクダ革のサンダルを三日間通って120ルピーで購入したほか、名の知れた名刺屋で100ルピー払って100枚の名刺を作ってもらった。仕上がりを見ると、値段が100ルピー(200円)とは到底思えないほどの質で、台紙一つとっても何十とある紙の中から好きなものを選ばせてくれ、パソコンの画面上で好きなフォントとアイコンを使って言ったとおりにレイアウトしてくれた。その上、二人分作ってもらう代わりに色を50枚ずつ別々にしてくれという厄介なリクエストも嫌がらずに受けてくれた。

<<ここ名刺の写真>>

その後、ニューデリーの新名所・コンノート・プレイスという街に地下鉄で出かけて紅茶を買ったりして、丸一日ゆっくりと遊んだ。


ヤノリさんはこの日がインド最後の夜ということで、せっかくだから晩飯は”インドで牛肉を食おう”という私の提案でMetropolisというそレストランに行った。このチョイスは結果として失敗。出てきたステーキは水牛のように臭く、肉は硬くはっきり言って不味かった。

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インドでステーキなんて食べるもんじゃねえ

深夜、乗り合いタクシーでニューデリー空港に去っていく彼女を見送る。


4日前にタージマハルの見えるレストランで会ってから、なんだかんだで結局ずっと一緒に旅を続けた。ヤノリさんは誰に対してもいつも笑顔で接し、地元の人にも優しく、それでも納得のいかないことには徹底的に戦った。自分のやりたいことを判っていて、それに対して情報を収集して一人で実行に移す行動力があり、そして万一の場合に変更できる応用力を持っていた。頭が良くて、それでいて多少抜けていて、基本人に親切だが適度にワガママで、元気で、独特の空気感は周りの人をみんな見方にするような力を持っていた。世界中で友達を作っては何度もその国を訪れたり、逆にその友人が日本を訪ねてきたり、一人でバックパックの貧乏旅行に行ったと思えば、友達とリゾートにも行く。それで日本でもきちんと仕事をしている。基本的に同じ場所を二度と訪れないという私のスタイルとは全く違うが、なんというか、バランス感覚が抜群にいい。10年前に会ったエジプト人家族を訪ねて3回もかの地に足を運んだという話を聞いた時は、『同じ時間とお金を使うのなら新しいところに行く』という私の性格からは決してできない羨ましい定点観測だと思った。『10月にはスペインから友達が遊びに来て、11月には友達とバリに行って、名古屋万博で出展してた人と友達になったからその人に会いに冬休みにはツバルに行く』と楽しそうに教えてくれた彼女は、私が予想していたのとはまったく違ったが確実に『素敵な旅人』の一人だった。


凸凹道を遠ざかっていくタクシーを見ながら、ふと私は今回のインドの旅の全ての目的がかなったことにきづいた。


1)『インド帰り』達がどうして『インド帰り』になったのかその理由を探りたい
2)人の命の軽さを感じたい、路上で眠るたくさんの人が蠢くところを見てみたい、インドのスラムを見てみたい
3)都市部にも野良牛はいるのだろうか、もしそうだとしたら是非見てみたい
4)私が想像もしなかったようなビジネスを見てみたい
5)インド研究の大家:ドクトルF氏との再会、5歳になったばかりの娘さんと遊ぼう
6)チャイを素焼きの器で飲んで、飲み終わったらカシャンと割りたい
7)ガンジス川で沐浴及びバタフライをしたい
8)ガンガーで野焼きされている死体を見たい、できれば水死体も見てみたい
9)男性でも女性でもいいので、素敵な旅人と会って話しをしたい


そして同時に、ふと私のインドの旅がここで終わったような気がした。
緊張の糸が切れたとでも言うのだろうか、とにかくそんな気がしたのである。インド旅行残りあと二日半、そしてその先に香港・マカオ二泊の予定が入っている。

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