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インド旅日記その19:ニューデリーへ:砂漠からの脱出

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2009年9月13日日曜日:ニューデリーへ移動:砂漠からの脱出

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ラッシー屋、膜の張ったラッシーが甘くて美味しい


ニューデリーへの移動を列車にするかバスにするか迷ったが、多少割高でも本数の多いバスにすることにした。


宿を10時にチェックアウトしてバス停までリキシャーで移動、とにかく暑いのでこまめにのりついでいく。この頃になるともう慣れたもので、最初は最低でも乗車毎に20ルピー払っていたところが、もはや10ルピー以上は出さなくなっていた。バス停でニューデリー行きの時間を調べると、一番よさそうな12時45分初のエアコン・デラックス車が400ルピーとある。ちょっと高いが、時間が限られているので仕方がない。ちなみに、バス停のおっさんが指差す料金表には200ルピー程度の普通車、300ルピーのデラックス、400ルピーのエアコン・デラックスときてその上にボルボ:500ルピーというのがあった。エアコン・デラックスをしのぐとはどういう差があるのか知らないがボルボ、やるじゃないか。


ニューデリーには6時か7時頃には着くらしい。また日が暮れてしまってからの宿探しになるが、同行のヤノリさんが既にニューデリーに行ったことがあるというのでかなり気が軽い。


ピンク・シティも今日が見納めということで、出発までの時間を利用して城門の中のバザールへ行く。ズボンの股が長い間破れていたので、それを縫おうとして針と糸を探してたら雑貨屋のおっちゃんが英語で話しかけてきて、訳を話すと裏通りのボタン屋まで案内してくれて、針二本と黒糸で5ルピーだと教えてくれた。ちなみにこの針は新聞紙の切れ端に刺して渡してくれた。あぶないっすよ・・・


商売抜きでここまで親切にしてくれるとは・・・感動してジーンとしていたら、私が昨日200ルピーで買ったばかりの布製カバンを指差して『これは30ルピーだね』『君のパンツは50ルピーだ』『実はこの近くに”身体障害者500人”を雇って織物や衣服・鞄を作ってる工場があって、そこに行ったら原価で買えるよ』などと教えてくれた。ほうほうと興味深く聞いていると、なぜかリキシャーを停めて、早口で値段交渉までしてくれ、その工場まで行って戻ってきて30ルピーという格安料金にしてくれた。


なんていい人なんだと私はまた感動し、”インドの身体障害者500人が働く工場”というキーワードにも惹かれ、言われるがままに車に乗り込んだ。20分後着いたのは、工場は併設してるものの完全に外国人用の服屋兼土産物屋で、中にいたオーナーらしき男は一言目に『君達が来るってXXさんから携帯に電話がありました』と満面の笑みで近づいてきた。

(・・・親切な人だと思っていたら単にコミッション狙いであったか) こんな単純なことに旅行も終盤に差し掛かってまだ手もなくやられている、インド恐るべし。結局大事な買い物時間を削られて、そのままバス停に直行、ニューデリー行きのバスに乗り込んだ。

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ジャイプールで見つけた瓶ジュースを売る店。日本のラムネの瓶と同じのを使っていたので、安心して飲んでいたら、その場で詰めているらしかった


ニューデリー行きのバス
エアコン・デラックスだけあって、行きにのってきたバスよりもかなり快適で、途中停まったパーキングエリアも綺麗で水洗のトイレがあった。真昼間のゴミ捨て場でインド人にウンコしている姿を間近から思いっきり見られたアグラ~ジャイプールのパーキングとはエライ違いだ。

夜の7時ごろ、ちょうど日が暮れる直前頃にインド門近くのバスターミナルに到着。ヤノリさんお勧めの『Ajay Hotel』のあるニューデリー駅前メインバザール(パハールガンジ)までリクシャーで移動。初めて行く大都市圏で彼女は既に2泊ほどしていてある程度土地勘があるので非常に心強い。とにかくインドでの移動はめちゃめちゃ体力を使うのだ。


Ajayは空き部屋がなかったので、系列の Yes Sir ホテルというところに宿泊。一泊250ルピー、さすが首都だけあってそれなりに高いが、部屋の中にトイレとシャワーがあるのでよしとしよう。夜は近くのシーク教徒のおっさんがやっているレストランでビールを飲む。Chopsy という中華風ヤキソバがエビチリ風のケチャップソースの海に沈んでいるものを食べたがあまりのまずさに頭痛がしてきた。


やばいな・・・この程度の不味さで頭痛がするなんて、ここに来て確実に体力が落ちている。2週間のインド暮らしがボディ・ブローのようにじわじわと体を蝕んでいるのがわかる。

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インド旅日記その17:アグラ~ジャイプール 悲惨なバスの旅

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2009年9月11日金曜日:アグラ~ジャイプール後編


<<悲惨なバスの旅>>
予定より10分遅れでバスは出発はしたものの、完全に満席ではなかったためにぜんぜん目的地には向かわない。市内のあちこちをまわって『ジャイプール!ジャイプール!』と客引きをしている。(はよ行ってくれや!)と最初はこちらもプリプリしていたが、そのうち諦めた。まあ仕方ない。インド人が空気を運ぶわけはないもんな。とにかく誰か乗らないことには現地に行かないのはわかっているのでもうどうでもよくなってきた。


痙攣をひきおこして倒れた男と、男の口にスリッパを押し付けた老婆(写真が小さくて申し訳ない)
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その時、停車したバスから外を見ているとふと二段になった道の段差から男が倒れて転げ落ちた。男はうつぶせのまま少し横を向いて激しく痙攣を起こしている。バスの位地からは男の顔は見えないが、人の体が今まで見たことのないような勢いで硬直したまま激しく上下に震えている。ただごとではない雰囲気に背筋がぞっとした。すると、男のすぐ前にブルーシートで”家”を作って生活していた老婆が立ち上がり、ひどく痙攣する男を横目に隣の”家”で昼寝していたおっさんのサンダルの片方を手にして戻ってきた。


何が始まるのかと思ってみていると、老婆は痙攣する男の口元へ無表情のままサンダルを押し当てた。男の痙攣は少しづつ小さくなりやがてパタりとおさまり男は動かなくなった。
『あ、死んだ』私がそう思うとほぼ同時に、老婆は男の口元からサンダルをはずし、それを昼寝している隣の親父の足元に戻した。昼寝をしていた親父は自分のすぐ足元で人が死んだことなんて知る由もないだろう・・・ そう思っていた矢先、男がむくっと立ち上がった。そのまま男はふらふらした足取りで、しかし何事もなかったように私の乗るバスを横切りあちらのほうに歩いて行った。私は何が起こったのかよくわからなかった。こういった光景は日常茶飯事なのだろうか、あの老婆は痙攣していた男を知っていて、こういうことがよく起きるという話でも聞いたことがあったのだろうか。過呼吸の対処法でも知っていて彼が吸う息のコントロールをしてあげたのだろうか、それとも彼の口から吐瀉物が出ないように他人のサンダルで押えていただけなのだろうか、この疑問が解消することは永久にないと思うが、とにかく背筋のぞっとする光景だったことは間違いない。


しばらくして満席となったバスはようやく西へ向けて走り出した。砂漠へ続く道だけあって、少しづつ少しづつ太陽が暑くなってきているのが車内からも判る。果たしてこれは『高速』なのだろうか、料金所を越えて制限のある車道に入っても牛に荷物を曳かせたおっさんの姿を何度も見る。その後幾度となく料金所や検問のような場所を抜けてバスはひた走った。ある検問所を越えて数百メートル離れたところのこと、何気なく外を見ているとバスがスピードを落とした。窓の外を見てみると、インド人が集まっていてバスの乗客と目が会うと『見るな・見るな』という感じで手をやってこちらを追い払うしぐさをした。次の瞬間、血まみれで道に倒れている一人のおっさんが目に入った。どうやら車に轢かれたのだろう、状況を見て『死んでいる』のは一目でわかったが、周りに車はない。轢き逃げにあったということだろうか。日本・アメリカで何十年も生きているが、人が車に轢かれて死んでいるのを見たことはなかった。発作を起こしたおっさんとひき逃げされた死体、ほんの6時間ほどのバスの旅がなんと印象深いのだろうか。


ところがこのバスの旅はそれだけでは終わらなかった。



人生初、ウンコ中を間近で見られた
夕方4時くらいだろうか、バスは少し汚れたバザールのようなところで停車した。食事休憩らしいが、バスの乗客40人くらいで誰一人カタコトの英語も話さないので、何分休憩するのかもわからない。
とにかく外に出て体をのばす。特に腹は減っていなかったが、何か口にしようか迷って10ルピー(20円)ほど出して揚げ物の上にカレーをまぶしたスナックのようなものを買った。

美味しかったがそれが間違いだった。30分ほど停車してそろそろ出発だというバスに乗り込んで休んでいるとお腹が猛烈に痛くなってきた。これはやばい。もちろん車内にトイレなどないし、目的地までの数時間我慢できるとは到底思えない。これは多少恥ずかしくても今行くしかない。


隣の客数人に『腹が痛い、トイレに行ってすぐ戻ってくるから』と身振り手振りで伝えてバザールに戻る。トイレを使わせてもらおうと思ったらそんなものはないという。じゃあ、どうするのだと聞くと、店の裏を指差した。外された扉の裏手には3段ほどの階段があり、そこから向こうは広大な原っぱになっていて遠くのほうには潅木の茂みが見える。その広大な原っぱに見渡すかぎりありとあらゆるゴミが散乱している。ここはゴミ捨て場兼トイレということなのだろう。何せ店の階段には戸がないので遠くに行きたかったがそこはもう足の踏み場もないほどのゴミ・ゴミ・ゴミ。捨てられたトイレットペーパーこそ見あたらないが、それはインド人が水で尻を洗うというだけの話で、そこらじゅうがおしっこ・ウンコだらけと見て間違いないだろう。バスの出発も迫っているし、ここはもう近場でやるしかないと階段から二歩ほど離れた位置でずぼんを下ろして大地にキバりはじめた。

腹の調子は悪いがとにかく数時間我慢できる程度にはすっきりしないといけない。うんうん唸っていると、後ろに人の気配を感じた。インド人のおっさんと5歳くらいの子供がこちらを指差している。こちらはほんの2メートル先で尻を丸出しどころか、穴から排泄物を垂れ流しているまさにその状態である。頭にカッと血がのぼって殴ってやろうかと思ったが、なにぶんウンコ中だ。思いっきりにらみつけしっしっと犬を追い払うように手でやるとどこかに消えた。それも束の間、また違う男が顔を出して私を指差して何か話しかけてくるではないか。

『ワシはウンコ中じゃ! 二度と話しかけるな!』

とにかくちゃんと拭けたかどうかもわからないくらい適当に拭って立ち上がりとにかくチンポと尻をズボンの中に入れて彼のところに行ってようやくわけが判った。バスが出発していたのである・・・

元の位置に走っていくとそこにはもう跡形もない。500メートルくらい向こうだろうかはるか遠くにゆっくりと遠ざかっていくバスの姿が見える。
パスポートと貴重品は身につけているものの、それ以外は全てバスに残してある。このまま見送ったら二度と戻ってくることはないだろう。走ったこと走ったこと。不適切な表現だが気が狂ったように叫びながらバスを追いかけること5分、ようやくバスは私の姿に気付き停車してくれた。


とにかくほんの6時間のバス移動でこれだけ疲れたのは初めてのことだった。そんなこんなでバスがジャイプールの街に着いたときには日はとうに暮れてしまっていた。

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インド旅日記その16:アグラ~ジャイプール移動

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2009年9月11日金曜日:アグラ~ジャイプール前編

朝6時起床。タージマハルの上に輝く朝日を見たくて屋上のレストランに行くが、残念ながらまた土砂降りの雨で日の出は見れず。早朝だというのにレストランには既に何組かの先客がいて、その中に昨日会ったヤノリさんの姿を見つけた。今後の予定を聞いてみると、二人とも砂漠にある街ジャイプールという街に行こうと思っていることがわかった。


ジャイプールというのはニューデリーの南東に位置し、砂漠地方ラジャースタン州の州都である。何年か前に『世界不思議発見』でも特集されていたので覚えている人もいるかもしれない。別名を”砂漠のピンク・シティ”と呼ぶ。城壁に囲まれた市内の建物はピンク色に彩られていてそれは美しいということだった。


とりあえず何か注文をと言われたので、特に飲みたいものはなかったが『チョコレートラッシー』というものがあったので頼んでみるとこれが大失敗。チョコとラッシーはまるで他人、まったく両立する気がない。
まあ、それがわかっただけでも注文してよかったというもの。しばし雑談した後、一緒に朝食を食べようということになり、せっかくなのでタージマハル系列のタージ・ビューというホテルのレストランに出かけた。


450ルピー(900円)も払って一流ホテルの朝食バイキングを食べたのだが、味はいまいち。バラエティに富んだ料理が食べられるかと期待したのだが、比較的ワンパターンの料理が多かった。食事の間色々な話をしたが、二人ともある意味インドにそこまで期待はしておらず、何を見るよりも何を感じるかを大事にするタイプの旅人だったので話があった。『ではジャイプールでまた会えればいいですね』と宿泊予定のホテル名を交換して別れた。


朝の間にアーグラー城を見て回り、昼のバスでジャイプールまで移動しようと考えていたのだが、あいにくの土砂降りで断念、ホテルのロビーで絵葉書を書いた。



ジャイプールへの移動
昼の一時にバス停まで行く、チケットを手配してもらったとき『ツーリストバスだ』と言われていたので、ちょっと期待したのがいけなかった。目の前にあるバスはおんぼろ、40人乗りくらいのバスを改良して荷物を載せるところをベッドにして、普通座席と”寝台”として売っているようだった。客は私以外100%インド人、まあインド人にツーリストがいないわけではないので、あながち嘘をつかれたわけではないのかもしれない。

バス乗り場とおんぼろバス
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目的地までは5~6時間と言われていたが、見知らぬ街に日の暮れる前に着くかどうかで全然疲れが違う。一刻も早く着いてくれると助かるのだが。

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インド旅日記その15:アグラ後編 大阪弁を話すインド人売春婦

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2009年9月10日木曜日:大阪弁を話すインド人売春婦


一軒目の”民家風売春宿”の入場をあえなく断られたが、二軒目の民家も同じだった。見知らぬ外国人を中に入れて万一の騒動にでも巻き込まれたら厄介だと思っているのだろう、ノックをしても呼びかけても中から鍵をかけたまま無視されているのでどうにも仕様がない。

売春婦のいる場所まで案内してくれた地元民、工場の持ち主らしく中を案内してくれた
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案内してくれた地元民と身振り手振りで会話するとその周辺には4軒の売春宿しかないらしく、(赤線地帯はたくさんある)と聞いてきた私はかなり落胆した。その後3軒目も同じように断られ、最後の4軒目、案内人がノックするのを祈るような気持ちで見ていると、なんと部屋があいて中に招き入れてくれた。喜んで中に入ったのはいいのだが、入った瞬間に場違いなことを思い知らされた。


まず入り口に座っているでっぷりと肥った中年女性は中国系だろうか、ニコリともしないで私のつま先から頭のてっぺんまで無遠慮に視線を落としてくる。中に入ると全体の広さは18畳くらいで決して狭くはない。しかしながらそこは居間から台所から寝室から生活のほとんどをここでまかなっているといった風情の大部屋であった。


部屋の左側には簡単な流し台と汚いコンロがあり煮炊きができるようになっている。そしてその隣の椅子にはお腹にふくよかな肉をつけた真っ黒な肌のインド女性が座ったまま、腐ったような目でこちらを見ていた。年齢は不詳だが30歳を大幅に過ぎたように見える。その隣には彼氏だろうか親族だろうか、20台と思われるお兄ちゃんが二人ほどいた。


部屋の逆の奥には病院のベッドを思わせるシングルベッドが二台据えてある。ただの汚いベッドなのだが、それらが私に『病院を思わせた』理由は天井から薄いカーテンが垂らされてその周りを囲えるようになっていたからだ。(それにしてもこの薄っぺらいカーテンの中で”しろ”というのだろうか?) そのベッドに腰掛けていた比較的色白の若いインド人女性は私と目が会うとこちらに歩いてきた。 彼女はそこまでデブということはないが、やはり例にもれず下腹にはでっぷりとお肉がのっかっている。顔つきも不細工ではないのだが、眉毛を完全に剃って実際の場所よりも3センチ上に筆ペンのようなものでアーチ状に描かれているのを見ると、触手が動くどころの話しではない。


バツの悪さを感じながら苦笑いしていると、どこからともなく変な声が聞こえてきた。

なんだろうと耳を済ませてみると、

『ナニウォー、ドゥーオーカングエティモームリヤ ナニウォー、ドゥーオーカングエティモームリヤ』

と眉毛の女が言っているではないか・・・

はっと気がつくと私はひたすら『どー考えても、こら無理や、何をどー考えてもこら無理や・・・』と無意識のうちに声に出して念仏のように呟いていたのだった。 眉毛はそれを聞いて、その音を真似していたわけである。


それまで私とは人種も考え方も違うし、彼らと自分の人生が交わることは絶対にないだろうと思っていたのだが、その”眉毛”がその変な日本語を口にしているのを見た時、思わず笑顔になりながら不思議に可愛い奴やなーと思ってしまった。


そういうわけでその日はたいした収穫もなく宿に帰ったが、眉毛が真似した私の大阪弁を思い出してほのぼのとした気持ちで帰路についた。

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インド旅日記その14:アグラ中編 売春宿を探しにいく

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2009年9月10日木曜日:アグラ中編:売春宿を探しにいく


小雨の降り続く中タージマハルを出て早足で宿に戻る。さっぱりとシャワーを浴び(ホットシャワーが絶対いいという人もいるが、高温多湿のインドでは水のシャワーが気持ちいい)屋上にあるレストランで夕食をとった。宿泊したこのShanti Lodgeはシングル一泊250ルピー(500円)の安宿だが、屋上にあるレストランからのタージマハルの眺めは息を呑むほど素晴らしい。

(写真:Shanti Lodgeからの眺め、安宿と思えないほどの素晴らしさ)
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生きた木の橋について
食後の夕暮れ時、霧に霞むタージマハルをぼんやり見ていると、一人の日本人女性が濡れた髪をワシャワシャとバスタオルで拭きながらやってきて隣の席に座った。その奔放な雰囲気に一瞬驚いたが、よく見るとなかなか感じのいい美人で、話してみると彼女は一週間の休みをとってインドを旅している旅行者で、名前をヤノリエコさん(仮名:以後ヤノリさんで統一)と言った。もともと彼女は Living Root Tree という生きたゴムの木の根で作った橋を見にいく予定だったのだが、直前にキャンセルして仕方なくアグラに来たのだという。




Living Root Tree というのを私は知らなかったのだが、生きたゴムの木の根をロープに伝わせて何十年もかけて作る生きた橋のことで、インドの北東部、Megaraya州にのみ存在するらしい。それを見るという一点張りの旅行スケジュールでインドまでやってきたのはいいものの、直前になって治安が安定していないということが判ったためにデリーからの国内線チケットを捨てて、予定を変更してタージマハルを見に来たのだという。柔らかい雰囲気の中に芯の強さがあって、今日の昼に会った女の子や、バラナシにいた子達と全然違う。もう少し話していたかったのだが、彼女は夕食の予定があるといって去っていってしまった。

(写真:宿の前で突如始まったお祭り。何の前触れもなくいきなり何かのパレードがはじまり、どこへともなく消えていく。付近のインド人に『あれ何?』と聞いても誰も知らなかったりするのだ)
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仕方ないので売春宿を探そう
その後特に予定はなかったので買春宿を探しにいくことにした。

何故アグラで売春婦なのかと言うと、友人のドクトルF氏のところで読んだ”僕と1ルピーの神様”(Slumdog Millionare の原作)という本の中で、主人公のラム・ムハンマド・トーマスがタージマハルで二年のガイドをするシーンに端を発する。そこで彼は売られてきた美しい売春婦の少女と恋に落ち、最後に彼女の身請けをして結婚することになるのだ。


インドの町を普通に歩いていて売春婦にぶつかることはまずない。日本とは民族・風習が異なり、とにかく性風俗に対する考え方が厳しいようだ。しかしインド人の書いたこの本に『アグラで美しい売春婦に会った』と書いてあるのだから、この街には必ず売春宿はあるのだろう。そうとなれば行ってみなければならない。パスポートや貴重品はできるだけ部屋に残して、万一襲われても大丈夫なくらい身軽になって外に出た。

宿周辺のネットカフェのお兄ちゃんに話しかける。

『あのーーー女の子に会いたいんやけど・・・ いやいやなんというか、女の子というか、売春婦やねんけど、いやいや、買いたいというわけやなくて、ただ見てみたいだけというか、そもそもスラムドッグ・ミリオネアの主人公がアグラで綺麗な売春婦に会って最後結婚するでしょ・・・ だから・・・ まあ、どんな感じかなーーー ちゅうてねーー ええまあ』


みたいなことを英語でくどくどと説明する。世界各国で売春宿を探してきたが、毎回苦労するのは『別に”買春”したいわけじゃない』というところをさりげなく(でもないが)、伝えておきたいという欲求がこちらにあるところだろうか。こんなことならエロ満開で『おい兄ちゃん、ええ女いてまっか?なんぼでっか?』くらいのノリでいければまだましなのかも知れないが、別に買いたいと思っているわけではないので逆に言い訳がましくて余計にカッコ悪くなってしまう。まあやる気満々で行ったところで実際に見てみると、もとから物理的に不可能というところがほとんどだろう。


とにかく彼は Saib Bazar というところに行けば買春宿はたくさんあるよと教えてくれた。Saib Bazarでリキシャーに頼めば間違いないなと念押しするとそうだそうだと言う。日はとうに暮れているので、あまり危険なところには行きたくないが、とにかくリキシャーを拾ってアグラー駅の反対側にあるというそのバザールまで運んでもらった。


ところが、バザールに着いたものの、それらしいところは全くない。1時間ほどかけてあちこち歩いて疲れ果てた。仕方なくそのあたりの店番をしているインド人に片っ端から話しかけてみるがやはり英語は通じない。こうなれば身振り手振りだと、文章にはとてもかけないようなことを口にして、ようやく地元民が連れていってくれたのは何度も前を通りかかったどうみても二階建てのただの民家だった


これがカンボジアならピンクのネオンの一つでも点けてくれてそうなものだが、インドにはまったくそれがない。狭い石造りの階段を半信半疑上っていくと、がっしりとした木の扉があった。案内してくれた地元民がノックすると、幅15センチくらいの小さなのぞき窓がすっと開いてこちらを見ると何も言わずに閉まった。その後は幾らノックをして呼びかけても何の応答もない。どうやら帰れと言っているらしい。

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